NHKは11月26日、2021年大河ドラマ・青天を衝けの主要キャスト第2弾を発表しました。
今回のキャストは主に、将軍継嗣問題に揺れる徳川家の面々と、渋沢栄一に多大なる影響を与えた周辺人物。
中でも佐戸井けん太さん演じる堀田正睦に注目が集まっています。
堀田正睦とは何者なのか?その生涯を簡潔にまとめました。
過去の大河ドラマで堀田正睦を演じた歴代俳優も、併せてご紹介。
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目次
【NHK大河ドラマ青天を衝け】佐戸井けん太の演じる堀田正睦の生涯
@Ayaka_6725 新事実発覚…堀田正睦と言えば…ハリス!笑 こちら、堀田正睦でございます。 pic.twitter.com/EqY4Q8eN
— Sayum! (@BonheurJvr) June 8, 2012
出生~少年期
文化7年(1810年)8月1日、佐倉藩3代藩主・堀田正時の次男(末子)として江戸邸にて生まれた正睦。
文化8年(1811年)に父が死去。藩主は嫡系の正愛が継ぎ、その後に正愛の養子となった。
初名は正篤(まさひろ)。
家督相続~藩政
かねてより病弱だった正愛が、文政5年(1822年)春頃から肝臓を患う。
文政7年(1824年)に正愛が危険な状態となったため、藩政を牛耳っていた老臣・金井右膳らは、正愛の後見を務めていた堀田一族長老の若年寄・堀田正敦(近江国堅田藩主)の子を藩主に擁立しようと画策。
しかし藩内では物頭の渡辺弥一兵衛ら下級武士が、これに反対。正愛の養子であった正篤(のちの正睦)が家督を継ぐこととなった。
藩主となった正篤は、自らの家督相続を支持した渡辺を側用人に抜擢するなどして、次第に権力を確立。
天保4年(1833年)の金井の死後、藩主として独り立ちし、藩政改革を指揮してゆくこととなる。
幕政参加
文政12年(1829年)4月12日に奏者番に任命され、初めて幕政に参加。
天保5年(1834年)には寺社奉行を兼務する形で任命され、受領名も備中守と改めた。
天保8年(1837年)5月16日に大坂城代に任命されて、従四位下に叙せられた。(ただし現地には赴任していない)
そして約2ヵ月後の7月8日に江戸城西の丸老中に任命され、加判に列した。
11代将軍・徳川家斉没後の天保12年(1841年)3月23日に本丸老中に任命され、老中首座の水野忠邦が着手した天保の改革に参与する。
しかし天保の改革は、忠邦の民衆に対する圧迫、腹心の鳥居耀蔵による悪政などから2年で失敗に終わった。
忠邦の改革は失敗に終わると早くから見抜いていた正篤は、天保14年(1843年)4月の12代将軍・徳川家慶の日光参拝直後に病気と称して辞表を提出。
閏9月8日、認められて江戸城溜間詰となる。この5日後、忠邦が罷免される。
老中首座に就任
天保14年(1843年)閏9月に老中を辞任した後は、佐倉に戻って再び藩政改革に尽力し、一定の治績を挙げた。
攘夷鎖国が時代錯誤であることを痛感していた正篤は、開国派であった。
安政2年(1855年)10月2日に安政の大地震が起こり、この地震で正篤は江戸上屋敷において負傷。
その1週間後の10月9日、当時の老中首座であった阿部正弘の推挙を受けて再任されて老中になり、老中首座を譲られる。
安政3年(1856年)、島津家から徳川家定(第13代将軍)に輿入れした篤姫の名を憚り、正睦と改名。
安政5年(1858年)、アメリカ総領事のタウンゼント・ハリスが日米修好通商条約の調印を求めて来ると、孝明天皇から条約調印の勅許を得るため上洛する。
しかし条約調印に反対する攘夷派公卿たちが廷臣八十八卿列参事件を起こし、さらに天皇自身も強硬な攘夷論者であったため、申し出は却下された。
そして同年、将軍・家定が病に倒れ、その後継ぎをめぐって徳川慶福(紀伊藩主)を推す南紀派と、徳川慶喜(一橋徳川家当主)を推す一橋派が対立する将軍継嗣問題が激化した。
慶喜派に鞍替え
尊皇攘夷派の徳川斉昭とは意見があわなかった正睦は、慶喜にも好感が持てなかった。
しかし、京都で朝廷の強硬な反対に遭って勅許を得られなかったため、状況を打開するには一橋派に路線を変更。
慶喜を将軍に、福井藩主の松平慶永を大老に推挙すれば、一橋贔屓の朝廷が態度を軟化させ、条約調印に賛成すると読んだためである。
失脚~最期
正睦の上洛中、松平忠固(老中)、水野忠央(紀州藩家老)の工作により、南紀派の井伊直弼が大老に就任。一橋派の排斥を始めた。
一橋派に鞍替えした正睦も排斥の標的となり、安政5年(1858年)6月21日、正睦は松平忠固と共に登城停止処分にされる。
そして6月23日には老中を罷免され、政治生命を絶たれることとなった。
安政6年(1859年)9月6日、家督を四男の正倫に譲って隠居し、見山と号した。
井伊直弼の死後の文久2年(1862年)11月20日、正睦は朝廷と幕府の双方から蟄居処分を受け、佐倉城での蟄居を余儀なくされる。
元治元年(1864年)3月21日、佐倉城三の丸の松山御殿において死去。享年55。
蟄居処分は没後の3月29日に解かれた。
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過去の大河で堀田正睦役を演じたのは?
下総・佐倉藩主。奏者番から大阪城代、加判、本丸老中などを経て老中首座となる。開港説を唱え日米修好通商条約締結を朝廷に求めるも失敗。将軍継嗣に慶喜を推すが直弼の大老就任で罷免・蟄居。学問好きで英語にも興味を持ち、藩内では「蘭癖」と呼ばれた。
堀田正睦#歴史#江戸時代#幕末#西郷どん pic.twitter.com/JiLs1fvxGv— 麗木士門@歴史モン (@rekishi_mon2015) July 1, 2018
過去のNHK大河ドラマで堀田正睦役を演じた歴代俳優をまとめました。
※太字は大河主人公
第1作 花の生涯 1963年 4月~12月 松下達夫さん
第28作 翔ぶが如く 1990年1~12月 井上孝雄さん
第47作 篤姫 2008年1~12月 辰巳琢郎さん
第57作 西郷どん 2018年1~12月 朝倉伸二さん
第60作 青天を衝け 2021年 佐戸井けん太さん NEW
佐戸井けん太さんの大河登場は、1999年の元禄繚乱、2012年の平清盛、2014年の軍師官兵衛、2019年のいだ天〜東京オリムピック噺〜以来、5回目。
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まとめ
老中首座に就いたとはいえ、調整役に回った阿部正弘の身代わりであり、実権を握るには至らなかった堀田正睦。
幕末の動乱期に翻弄された彼が、どのような役回りで登場するのか?
烈公・徳川斉昭との対峙はあるのか?
2021年2月14日からの放送が、今から楽しみです。
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