【青天を衝け】ネタバレあり!岡田健史が演じる尾高平九郎の生涯と最期

7月10日にメインキャスト第1弾が発表されたNHK大河ドラマ2021・青天を衝け。

イケメン俳優さんの起用が取りざたされる中、特に目を引いたのが大河初主演となる岡田健史さんという方も多いのではないでしょうか?

岡田さんが演じるのは、主人公の渋沢栄一の義弟にして、見立て養子なる尾高平九郎。

どのような活躍をするのか? そして、いかなる最期を遂げるのか?

まとめてみました。(ネタバレあり)

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岡田健史が演じる尾高平九郎の人物像

幕末ファンでもあまり聞き覚えのない、尾高平九郎。

その人物像をまとめてみました。

平九郎の生い立ち

尾高平九郎は弘化4年(1847年)11月7日、武蔵国榛沢郡下手計村(現・埼玉県深谷市下手計)名主、尾高藤五郎保孝の末子として生まれました。

尾高家は米穀、塩、菜種油などの商売や藍玉の製造販売、養蚕、農業を営む豪農で、長男の惇忠(じゅんちゅう)は家業のかたわら、自宅に私塾を開き近郷の子弟に学問を教えていました。(若き日の栄一も門弟の一人)

ちなみに兄妹は、長男の新五郎(惇忠)、長女のみち、次女のこう、次男の長七郎(弘忠)、三女の千代、四女のくに。千代は後の栄一の妻となります。

1840年生まれの栄一とは7歳違い、母が栄一の父の姉なので栄一とは従兄弟、かつ栄一が姉の千代と結婚したため義兄弟という間柄となっています。

なかなかややこしいですね。

平九郎の容姿

当時にしては大柄な180cmの高身長を誇った平九郎。

惇忠の「渋沢平九郎昌忠伝」によると「平九郎は温厚で沈勇果毅な性格で、所作は美しく色白で背が高く腕力もある」と評されています。

兄の私塾で学問や文芸に親しんだだけでなく、10歳から学んだという神道無念流の腕前は19歳の頃には人に教えられるほどにまで上達したといいます。

まさに文武両道の士で、栄一が見立て養子に指名したのも頷けます。

本作での岡田さんの起用理由について、関係者は「平九郎と同年代でイメージした時にピッタリだった」と明かしています。

確かに鼻筋の通ったイケメン武士の平九郎。イメージがぴったりというのも納得です。

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見立て養子とは?

渋沢栄一が指名した見立て養子とは?

フランスへ渡航する栄一が、出立前に見立て養子とした平九郎。

見立て養子とは聞きなれない言葉ですが、後継者指名された養子」を指します。

栄一が徳川慶喜に仕えていた頃、フランスで行われるパリ万博の視察団随行を命じられました。

このような重要任務に赴く際は、万が一の事態に備え、臣下は主君に後継者を届けておく制度があったのです。

当時の栄一には幼い長女しかおらず、後継ぎとなる嫡子がいませんでした。

そこで平九郎を養子とし、後継者として届け出たのです。

それだけ栄一は平九郎を高く買っていたということなのでしょう。

※見立て養子の他に「仮養子」「心当養子」といった呼び方をされる場合もあります。

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【ネタバレ】尾高平九郎の最期

岡田健史演じる尾高平九郎の最期

栄一の後継者指名を受けた平九郎は、名を渋沢平九郎に改め、江戸に移り住むこととなります。

移住して間もなく、慶喜が朝廷に政権を返上する事件(大政奉還)が起きます。

進退に迷った平九郎が兄の惇忠に相談したところ、このような叱咤激励を受けました。

「開国貿易して外国の文明を取り入れ国富を富ますことこそ肝要」

「慶喜公の決断は国家を思っての行為であり余人の及ぶところではない」

「この慶喜公に尽くすことこそ男子の本懐である」

そして王政復古の大号令、鳥羽伏見の戦い、江戸無血開城といった日本史に残る大事件が次々と起こります。

1868年2月、慶喜は江戸を出て、寛永寺にて蟄居(謹慎)することに。

これに不満を抱いた元幕臣の有志たちは、慶喜復権のために彰義隊を結成しました。彰義隊の頭取は渋沢成一郎、平九郎の従兄にあたる人物です。

慶喜のために働くと心に決めていた平九郎も、この彰義隊に参加。大ニ青隊伍長に任命されています。

しかし彰義隊は、頭取と副頭取の軋轢が原因で、内部分裂を起こしてしまいます。

そこで平九郎は彰義隊を離脱し、成一郎が新しく結成した振武軍へと加わることに。

同年5月、戊辰戦争の一つである上野戦争にて、彰義隊が敗戦したとの報が届きます。

そこで振武軍は上野に進軍し、飯能の能仁寺に本拠を設営。彰義隊を破って勢いに乗る新政府軍を迎え撃ちますが、圧倒的火力の前に早々に敗北。

平九郎は敵の目を欺くため、百姓に化けて逃走を試みます。

しかし道中の黒山村(現・越生町黒山)にて、敵方の斥候3人と遭遇。奮闘もむなしく重傷を負った平九郎は逃げ切れぬと悟り、割腹して果てたのでした。

享年20歳と7か月。

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尾高平九郎のその後(ネタバレ)

尾高平九郎のその後

パリ万博視察で渡欧していた栄一は、この一連の戦火に巻き込まれることはなく、1868年11月に横浜港より帰国しました。

帰国直後、平九郎の安否は不明のまま。栄一は手を尽くして平九郎を捜しますが、行方が分かったのは明治6年(1873年)になってからのことでした。

その後、平九郎の遺体は栄一の部下によって首、胴体共に収容され、谷中の渋沢家墓地に改葬されています。

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まとめ

若くして壮絶に散った、尾高平九郎。

平九郎役を演じる岡田さんは「今、この時代に向けて、『青天を衝け』を通し、尾高平九郎を通じて、何を発信しようかと試行錯誤しながら役作りをしています。平九郎の“叫び”にぜひ注目していただければと思います」とコメントしています。

主君への忠義を貫き、雄々しく散った若き平九郎の生き様が、どのように表現されるのか。

シナリオ、演技、ともに要注目です。

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